東日本大震災で被災した石巻市のS様の住まい造り
お施主様からコメントをいただきましたので
原文のまま掲載させていただきます。
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宮城県石巻市 S
とあるご縁から中鉢建設様にお願いする運びとなりましたが、
人と人との繋がりとは時に不思議であり、大切なものだと実感しております。
家の建設など全く予定がなかった中での東日本大震災。
私のうちでは直接的な人的被害はなかったものの家屋は流失し、
生まれ育った美しい地元は壊滅的な被害を受けました。
突然、目の前に絶望を突きつけられた多くの人たち…
この先どうなるんだろうと何も考えることもできませんでした。
少しずつ時が経つに連れ、「復興」と言う言葉が飛び交い、
それに向けて進んではいるものの、実際被災した我々にとって、
それは遠く果てしないものに感じています。
しかし、東日本大震災で深く感じた友人知人以外にも、
たくさんの方々からの支援や声援…
人と人との繋がりや絆がこんなにも温かく力強いものだということをあらためて感じました。
育った地元に戻りたいという想いは今も変わりませんが、
住宅の移転と建設を決めたのは、
営業担当の関口様との出逢いから始まりました。
家の建設とは一世一代のイベントであり、
やはり本当は計画的に理想を突き詰めて…
というものが本来の進み方であると思いますが、
私たちの家づくりは、
“生きるために必要な「衣食住」の「住」を確保すること” が第一の目標。
とにかく落ち着いて生活ができる住処を持ちたい…
それもできるだけ早い時期に叶えられたら…
同じ想いを多くの方が持っていると思います。
その中で、中鉢建設様と出逢い、夢の一歩を踏み出すことが出来た幸せ。
しかも、限られたなかでもできるだけ私たちの理想を叶える家づくりを
一緒に親身に考えていただいております。
おかげさまで担当様はじめ、
中鉢建設様のそれぞれの御担当様のチームプレイと
確かな信頼のもとに順調に進むことができております。
日々、形になっている我が家が夢のようです。
本当に感謝でいっぱいです。
宮城県内での住宅建設は、実は初の竣工という記念すべき一棟目を
我が家は担わせていただきました。
多くの方が震災後の大変な住宅確保という中にあると思いますが、
夢の家づくりを安心してお任せできております。
多くの方の御縁に繋がれがいいなと思っております。
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S様 コメントありがとうございます。
私は宮城県大崎市鳴子の出身です。
32年前に横浜に移り住みお世話になっていますが、
故郷を思う気持ちは、S様と同じだと思っています。
震災復興に全力を尽くしたいです。
これからもよろしくお願いします。
被災地では、まだまだ仮設住宅にお住まいの方が大勢いらっしゃいます。
悲惨な大災害を風化させない、
元の生活に被災者の一人一人が
早く戻れるように応援を続けていきたいと思います。

宮城県塩竃市で3.11東日本大震災の復興支援工事をさせてもらっています。
宮城県でも、横浜型地域貢献企業の精神は引き継がれています。
仙台支店に赴任中の社員さんから、嬉しい写真が届きました。
塩竃市の大震災で壊れた道路を補修する現場周辺の街頭清掃を
作業員さんたちが行なっている写真です。
道路掃除や会社周辺の公園の掃除などを私たちは毎朝行なっています。
私たちをとりまくみんなの幸せづくりを実践するために・・・。