2013/12/03「東日本大震災の復興を応援します!」
仙台市の隣町に富谷町があります。
富谷町は仙台市のベッドタウンとして、人口が増えていて、
人口の増加に伴い、さまざまなショップや大型店舗も進出し、
税収も伸びているそうです。
富谷町の町役場に行きましたが、
とても素晴らしい建物で、事実を物語っていました。
この現場は、そんな富谷町が町民や震災被災者などの住民に
住まいを提供すべく計画している町営の賃貸住宅建設工事現場です。
昨年も町営賃貸住宅の新築工事を富谷町からご発注いただいています。
ですから、今回で2回目になります。
工事場所を仮囲いで仕切り、工事関係者以外の人たちの
現場内への出入りを防ぎ、第三者災害の防止に努めます。
やり方を設け、基礎工事の準備が始まりました。
基礎工事の床付け工事では、掘りすぎに注意しながら掘り進めます。
床付け完了後、基礎砕石を敷き均します。
コンクリート打設前に、防湿シートを敷きつめます。
捨てコンクリートと呼ばれる、均しコンクリートを打設します。
鉄筋の組み立てを行ないます。
被災地では、この鉄筋屋さんが大変不足しています。
型枠工事です。
いよいよコンクリートの打設です。
基礎工事も順調に進み、いよいよ棟上です。
2013/12/04「宮城県塩竃名物 五色団子食べちゃいました!!
」
」
塩竃はお寿司屋さんがたくさんあります。
何でも、人口の割合に対してお寿司屋さんの数が日本一とか? 街を歩くと、なるほどお寿司屋さんが目に止まります。
和菓子屋さんの『おさんこ茶屋』さんの若奥さんは、
お寿司を食べた後にお店に立ち寄るお客さんが多いので
【べつばらセット】を造ったそうです。
あんこ・くるみ・ごま・しょうゆ・づんだの5色
づんだはさっぱりした甘み。
あんこはこしあんで正直好みではないけど、
すっきりキレのある味でした。
しょうゆはみたらしだんご風。
砂糖が違うのかな?さっぱりすっきりした味で美味しかったです。
くるみとごまの味は想像におまかせします(笑)
結論!!!
『うまかった』
2013/12/06「仙台支店で忘年会を行ないました!」
以下は主催者のご挨拶で、当社社長の代理で私がご挨拶をさせていただいた原文です。
◆
本日は中鉢建設 仙台支店 忘年会にご参加いただきありがとうございます。
日頃より、皆様には大変お世話になり感謝しています。
本来であれば、当社の中鉢社長がご挨拶させていただくところですが、所要と重なり本日欠席とさせて頂きました。
中鉢社長からは「皆様には今年も大変お世話になりました。
来年も皆様と力を合わせて、故郷宮城の復興のため全力を尽くします。
今後ともお力を貸してください。よろしくお願いします。」とメッセージを預かって来ました。
また、本日は日頃から大変お世話になっております、ご来賓の皆様、
お忙しい中ご参加いただきありがとうございます。
中鉢建設仙台支店の社員さんと協力業者様の来年にかける意気込みを、今日は感じていただけたら嬉しいです。
さて、3.11の大震災は私にとっても一生忘れられない出来事になりました。
私も宮城県鳴子温泉の出身です。
高校まで大崎市古川の高校に通っていました。
ですから今回の大震災では多くの親類、友人、知人が被災しています。
震災直後は、ボランティア活動として石巻市内で民家の泥掃除もさせて頂きました。
しかし、そこには限界も感じました。
ふるさとへ恩返しがしたい・・・。
復興は長期戦になるとの考えから、
自分たちが神奈川県横浜市で仕事とさせていただいている建設業で、一日も早い復興のお役に立ちたいと考え、
急きょ中鉢建設仙台支店を開設して、約2年間、今日までやってきました。
これまで公共工事を中心に復興工事をさせて頂きましたが、
先月、東日本大震災で被災した石巻市の斉藤様の住まい造りが完成しました。
お施主様の斉藤様からこの度コメントをいただきましたので、この場でご紹介させて頂きます。
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とあるご縁から中鉢建設様にお願いする運びとなりましたが、人の人との繋がりとは時に不思議であり、大切なものだと実感しております。
家の建設など全く予定がなかった中での東日本大震災。
私のうちでは直接的な人的被害はなかったものの家屋は流失し、生まれ育った美しい地元は壊滅的な被害を受けました。
突然、目の前に絶望を突きつけられた多くの人たち…
この先どうなるんだろうと何も考えることもできませんでした。
少しずつ時が経つに連れ、「復興」と言う言葉が飛び交い、
それに向けて進んではいるものの、実際被災した我々にとって、それは遠く果てしないものに感じています。
しかし、たくさんの方々からの支援や声援…
人と人との繋がりや絆がこんなにも温かく力強いものだということをあらためて感じました。
育った地元に戻りたいという想いは今も変わりませんが、住宅の移転と建設を決めたのは、営業担当の関口様との出逢いから始まりました。
家の建設とは一世一代のイベントであり、やはり本当は計画的に理想を突き詰めて…
というものが本来の進み方であると思いますが、私たちの家づくりは、
“生きるために必要な「衣食住」の「住」を確保すること”が第一の目標。
とにかく落ち着いて生活ができる住処(すみか)を持ちたい…
それもできるだけ早い時期に叶えられたら…
同じ想いを多くの方が持っていると思います。
その中で、中鉢建設様と出逢い、夢の一歩を踏み出すことが出来た幸せ。
しかも、限られたなかでもできるだけ私たちの理想を叶える家づくりを一緒に親身に考えていただいております。
おかげさまで担当様はじめ、中鉢建設様のそれぞれの御担当様のチームプレイと
確かな信頼のもとに順調に進むことができました。
日々、形になっている我が家が夢のようです。
本当に感謝でいっぱいです。
宮城県内での住宅建設は、実は初の竣工という記念すべき一棟目を我が家は担(にな)わせていただきました。
多くの方が震災後の大変な住宅確保という中にあると思いますが、夢の家づくりを安心してお任せできております。
多くの方の御縁に繋がれがいいなと思っております。
コメントは以上です。
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私は、32年前に横浜に移り住みましたが、
故郷を思う気持ちは、今でもコメントを紹介させていただいた斉藤様と同じです。
まだまだ仮設住宅にお住まいの方が大勢いらっしゃいます。
悲惨な大災害を風化させない。
元の生活に被災者の一人一人が早く戻れるように震災復興に全力を尽くし、これからも応援を続けていきたいと思います。
皆様には、今、ご紹介させていただきました、齊藤様のご自宅をお借りした、完成見学会のチラシを用意させていただきました。
年内いっぱい見学できるようにお借りしています。
この機会に是非ご見学いただき、新築でもリフォームでも住まい造りの検討をされている方々は、お役にたてて下さい。
また、お知り合いの方々にもお声をかけていただけたら嬉しいです。
よろしくお願いします。
そして、仙台といえば、今年は楽天のパリーグ優勝!ついには日本一!
星野監督のインタビューの中に
「就任当時いきなり大震災で、まいったなーと思いました。そして考えました。
自分たちに出来ることそれは日本一になって東北の人たちをいやしてやりたい!
そしてその苦労を少しでもやわらげようと、選手たちは頑張った。
選手たちをほめてください!そして、東北の皆さんとこれからも戦い進みます。
と、話されていました。
この優勝インタビューを聞いた時、私も自分の体が震えました。
まさに今、私たちは東日本大震災の復興というペナントレースで戦っている真っ最中です。
東北の人たちは粘り強く、あきらめない。
そんな皆さんの力をこれからもお借りして、この復興というペナントレースを勝ち進みたいと考えています。
そして、今年一年間、当社の社員さんも、協力業者様も楽天の選手同様、いやそれ以上の働きをしてくれました。
星野監督ではありませんが、中鉢建設仙台支店の社員さんと協力業者様をほめたいと思います。
私たちも東北の皆さんと共に前進しましょう。
ビールかけとまではいきませんが、今夜は皆さんで今年一年の苦労をねぎらいあいましょう。
現在は仙台市、塩竃市、富谷町、七ヶ浜町、山元町などの震災復旧工事をさせていただいております。
今日、ご参加いただきました皆さんと、より一層のお互いの協力体制を強め、引き続きご支援、ご協力いただけますようお願いします。
今宵は、日頃の厳しい仕事のことはちょっと忘れて、皆様のご協力に感謝して、宴席を用意させて頂きましたので、楽しんで行ってください。
最後になりますが、本日ご参加いただきましたご来賓の皆様、協力業者様
各社の益々のご繁栄とご参加頂きました皆様のご健康を祈念しまして、ご挨拶とさせて頂きます。
ありがとうございました。
◆
ということで、ビールかけを仙台でやってきました!(笑)
仙台支店の目黒統括部長さんはじめ、仙台支店の社員さんがご参加いただいた皆さんにご挨拶をさせていただきました。
来年も復興支援がんばります!!!
2013/12/09「被災地 七ヶ浜町で災害公営住宅を建設するための造成工事を始めました!」
宮城県七ヶ浜町は3.11東日本大震災で大きな被害を受けた街の一つです。
七ヶ浜中学校のグランドには仮設住宅が建設されています。
被災した町民の方々は、仮設住宅でいろいろな不便の中で、
頑張って生活されています。
今回災害公営住宅の建設が決まり、建設のための宅地造成工事を
私たちの会社が担当させて頂く事になりました。
町役場の担当者や設計を担当されたコンサルタント会社の担当者の皆さんと、
造成現場の確認作業も順調に進んでいます。
今回の造成現場のすぐ近くまで、3.11の時は高波が押し寄せたそうです。
高波が押し寄せた地点が後世に伝えられるように石碑が建てられています。
今回の造成現場のすぐ近くです。
仮設住宅で不便な生活をされている方々のためにも、
一日も早く工事が完成するように頑張ります。
2013/12/10「大津波で大災害を受けた宮城県亘理郡山元町磯浜漁港に水産物荷捌所を建設します」
宮城県亘理郡山元町立中浜小学校
そこは、3.11東日本大震災で甚大な被害が発生し、
廃校になった学校です。
今では被害を受けた小学校がそのまま残され
被災者を供養する五輪塔が当時の様子を私たちに伝えてくれています。
中浜小学校から車で数分の場所に磯浜漁港があります。
この地に水産業の人たちが利用する共同利用施設
作業保管倉庫を新築します。
この施設は、山元町が震災復興している街のシンボルとして
扱いたいと町役場の担当者は話してくれました。
そして、町民が施設の完成を待ちわびているそうです。
この日は、天気も良く波の音だけが聞こえ
とても十数メートルの津波に襲われた地域とは思えないおだやかな漁港でした。
現場は基礎工事の最中でした。
基礎工事で大切な生コンクリートと鉄筋が、被災地では不足しています。
この現場の近くでも、防波堤用のテトラポットを大量に作っていて、
生コンクリート工場の生コンはほとんどがテトラポット用でなくなります。
また、もともと仕事量が少ない東北地方ですから
鉄筋加工できる職人さんが少ないのです。
そこに、今回の大震災での復興工事が大量に発生し
職人さん不足と建設資材不足になっています。
大震災で亡くなられた皆様のご冥福を祈りながら
被災者の方々が元気に前に進めるように
私たちも震災復興工事を応援させていただきます。
2013/12/11「3.11東日本大震災・仮設住宅で使えなくなった七ヶ浜中学校の仮設グラウンドをつくります。」
宮城県七ヶ浜町
太平洋に面した海の町
そこは3.11東日本題震災で甚大な被害を受けました。
町役場には当時の大津波が街を襲ったときの状況や
トルコからの緊急支援救助のようすを展示していました。
私たちが震災復興のお手伝いをさせていただいている街は
仙台市と海に面した北側の塩竃市、内陸部の富谷町が中心でした。
理由は他の地域に比べて震災復興の関連工事がいち早く発注されたから。
被災地の実態は、復興したくても発注、監理する公共機関の
役人さんが圧倒的に足りなくて、事を起こせないでいます。
市町村同士で役人さんの派遣行為は行われていますが、まだまだ足りません。
結果、震災復興がなかなか進んでいないのが実態でした。
悲しいことです。
2011.3.11
この日、愛する家族や大切な住まいをなくされた方は大勢います。
あらためて、天国に行かれた方々のご冥福をお祈りいたします。
そして、あらためて故郷の復興のためにお役に立てるように頑張ることを誓います。
七ヶ浜町の被災者の方々は、
七ヶ浜中学校のグランドに建てた仮設住宅で生活されています。
そのため、七ヶ浜中学校の生徒さんたちはこれまで、グランドを使えませんでした
隣接する調整池を造成し新しいグランドを新設します。
大きなため池と雑木林でしたが
土砂を運び込み、急ピッチで盛り土工事が行なわれています。
一日も早くグランドを造り、
七ヶ浜中の生徒さんたちがおもいっきり運動ができて
笑顔や笑い声がたくさん飛び交うグランドをつくりたいと思います。
七ヶ浜中のみんな! 待っててね!
2013/12/12「3.11で被災した人たちのためにも利用されている富谷町で町営住宅を建設します!」
仙台市の北側に富谷町があります。
富谷町から受けた町営住宅の建設現場です。
この町営住宅の隣接に、使用中の住宅がありますが、
3.11で家を無くされた方も、お住まいになっているようです。
このあたりは、海からはずいぶん離れているので、津波の影響は受けません。
住まいのことで困っている人が多くいますので、
町営住宅ができると利用したい人は大勢いるようです。
現場は基礎工事が完了しました。
木工時に入る注意点として、
基礎工事で基礎コンクリートが十分固まってから上棟すること。
基礎コンクリートが固まる前に振動を与えて、
クラックなどひび割れさせないように
十分強度が上がってから工事をする必要があります。
上棟前には、一階の床工事や先行して足場工事を行ないます。
木材のプレカット(加工)は
コンピューター制御のミリ単位で管理され、加工工場で全て行われます。
現場には、加工された部材が搬入され組み立てられます。
★上棟時の注意点としては、
1、高所作業がともなう事から上棟に先行して足場工事を完了させ、
高所での作業時の足場を確保して、墜落事故を防ぐこと。
2、床合板を早い段階で敷き詰め、転落事故の危険を防ぐこと。
3、作業員さんの安全確保のためヘルメットを着用すること。
4、いろいろな金物で土台と柱、柱と梁をつなぎとめます。
この金物は耐震性能にも直結します。
金物の止め忘れに注意したいです。
などの注意点が上げられます。
どの項目も素人目には、なかなかわかりづらいことばかりです。
自宅を新築するときには、
職人さんたちもわざと間違えたり、手抜きはしません。
しかし、職人さんたちの気を引き締めるためにも、
お施主様は、現場のことがわからなくても
現場をちょくちょく見に行くことをおすすめします。
2013/12/13「3.11で壊れた道路をなおしています!」
宮城県塩竃市内のアスファルト道路をなおしています。
東日本大震災が発生してから、2年9ヶ月が経ちます。
被災地の一つ。宮城県塩竃市では道路の補修工事の真っ最中です。
いまごろ? と思われるところもありますが、
道路をなおすためには、道路内に埋めてある水道管や下水道管、
電話線や電線などの埋設管をはじめに修理する必要があります。
その後、道路の表面をなおすわけですが、
壊れた調査から始まり設計や入札、
工事を始めるための準備などを行なうと、今頃になってしまいました。
また、この地域は冬場は雪が降ったり、
非常に寒くなるためアスファルトやコンクリートの施工が制限されます。
そのため、工事が一時に集中するため、
私たち工事業者としても材料や機材、職人さんの手配などが大変です。
自分たちに出来ることをコツコツ続けていきます。
2013/12/16「震災復興で慣れないフランス料理をいただきました(笑)」
宮城県塩竃市で震災復興の工事をしています。
このたび、工事中だった河の工事が無事に終わりました。
工事中に大変ご迷惑をおかけしたお店が、
今回お料理をいただくフランス料理のお店です。
河に隣接していて、やはり東日本大震災の津波で被害を受けました。
工事中は、大型重機の音や振動などでご迷惑をおかけして
お店には大変ご協力いただきました。
工事の無事完成を祝し、ご迷惑をおかけしたこちらのお店で
工事関係者が集まりランチをいただきながら祝いました。
フランス料理はみんな慣れていないから
緊張のおもむきです。(汗)