「2014年03月11日」
被災地 宮城県七ヶ浜町で災害公営住宅を建設するための造成工事をしています!
被災地 宮城県七ヶ浜町で災害公営住宅を建設するための造成工事をしています!
宮城県七ヶ浜町は
3.11東日本大震災で大きな被害を受けた街の一つです。
震災時、トルコから緊急支援をして頂いたことでも有名な街です。
七ヶ浜中学校のグランドには仮設住宅が建設されています。
被災した町民の方々は、仮設住宅でいろいろな不便の中で、
頑張って生活されています。
あれから3年が経ちました。
今回災害公営住宅の建設が決まり、建設のための宅地造成工事を、
私たちの会社が担当させて頂く事になりました。
ところが例年以上に今年は雪が降り積もり、
七ヶ浜町は海沿いの街で、雪が降っても積もることは
めったにないようですが、今年はちょっと違います。
![宮城県で災害公営住宅を建設するための造成工事](files/cht-e199-0311-01.jpg)
![宮城県で災害公営住宅を建設するための造成工事2](files/cht-e199-0311-02.jpg)
![宮城県で災害公営住宅を建設するための造成工事3](files/cht-e199-0311-03.jpg)
![宮城県で災害公営住宅を建設するための造成工事4](files/cht-e199-0311-04.jpg)
今回の造成現場のすぐ近くまで、3.11の時は高波が押し寄せたそうです。
高波が押し寄せた地点には、後世に伝えられるように
石碑が建てられています。
仮設住宅で不便な生活をされている方々のためにも、
一日も早く工事が完成するよう雪に負けずに頑張ります。
「2014年03月10日」
塩竃市で3.11東日本大震災で壊された下水道管をなおしています。
塩竃市で3.11東日本大震災で壊された下水道管をなおしています。
使用中だった下水道管が大震災によって壊されました。
下水道管は蛇行したりつぶれたりして壊され、
汚物は処理場に流れなくなりましたが、
生活廃水は人々が生活している以上、どんどん流されます。
結果、壊れた下水道管のまわりは
生活廃水の溜まり場になっています。
大震災からもうすぐ3年経ちますが、
今でも、そのような地域はまだまだ残っています。
![塩釜で下水管の工事](files/cht-e199-0310-01.jpg)
この地域もそんな一部です。
塩竃市は港町です。
海水の影響をまともに受ける地域です。
下水道管を修理するためには、
掘った時に地盤が崩壊しないように、
薬液注入工法などの地盤を強化する
地盤改良工事を先行して行なわなければなりません。
![塩釜で下水管の工事2](files/cht-e199-0310-02.jpg)
薬液注入工法で地盤が強化したところから、
もともとあった下水道管を掘り起こし、新しい下水道管に入れ替えます。
![塩釜で下水管の工事3](files/cht-e199-0310-03.jpg)
![塩釜で下水管の工事4](files/cht-e199-0310-04.jpg)
![塩釜で下水管の工事5](files/cht-e199-0310-05.jpg)
ところどころに人孔(じんこう)と呼ばれる
マンホールをつくり、メンテナンスに役立てます。
![塩釜で下水管の工事6](files/cht-e199-0310-06.jpg)
大震災は一部ではなく、そこにあるもの全てを壊します。
修理工事を行っていると、大震災の凄さや恐ろしさを日々感じます。
被災地の冬は特に寒いです。
一日も早く、本当の春が訪れることを祈ります。
「2014年03月6日」
3.11東日本大震災で被災した宮城県七ヶ浜町で排水路の整備工事を行っています!
3.11東日本大震災で被災した宮城県七ヶ浜町で排水路の整備工事を行っています!
宮城県七ヶ浜町は東日本大震災で甚大な被害を受けた街です。
地名のとおり、七つの浜を持つこの街は
震災後海水浴場は閉鎖され、
悪夢の3.11から時間が止まっています。
あれから3年です。
堤防を乗り越え津波が街を襲いました。
大津波は堤防を越え、道路を超え、ガードレールをなぎ倒し
住宅を飲み込みました。
堤防より低い住宅地は全て大津波に飲み込まれ
小高い住宅だけが被害を逃れました。
この地域の排水路は、震災の影響で大きな被害を受け
生活廃水や雨水排水がきちんと排水できなくなりました。
そこで、今回の排水路整備工事となりました。
![塩釜で下水管の工事](files/cht-e199-0306-01.jpg)
![塩釜で下水管の工事2](files/cht-e199-0306-02.jpg)
側溝用に掘った穴に基礎砕石を敷きならし、
基礎コンクリートを打設して、側溝を並べます。
![塩釜で下水管の工事3](files/cht-e199-0306-03.jpg)
![塩釜で下水管の工事4](files/cht-e199-0306-04.jpg)
側溝は工場で作られ、
大型のトレーラーで現場に搬入されます。
この地域は、海のとてもきれいな海水浴場だったようです。
一日も早く、震災前に復興してもらいたいです。
「2014年03月5日」
3.11で被災した人たちにも利用されている町営住宅を建設します!
3.11で被災した人たちにも利用されている町営住宅を建設します!
仙台市の北側に富谷町があります。
富谷町から発注された町営住宅の建設現場です。
この町営住宅の隣接に、使用中の住宅があります。
昨年、私たちが新築させていただいた公営住宅です。
3.11で家を無くされた方も、お住まいになっているようです。
![富谷町町営住宅](files/cht-e199-0305-01.jpg)
![富谷町町営住宅2](files/cht-e199-0305-02.jpg)
このあたりは、海からはずいぶん離れているので、
津波の影響は受けませんでした。
しかし、大地震の被害は津波だけでなく、
山あいの街にも大きな被害をもたらしました。
住まいのことで困っている人が多くいますので、
町営住宅ができると利用したい人は大勢いるようです。
現場は完成間近で、
内装工事と外まわりの外構工事の最中でした。
内装工事は、大工さんの仕上げ工事、クロス屋さん
水道屋さんの設備器具の取り付け工事などです。
一見、外見は完成しているように見えますが、
建物の中では、各職人さんたちが所狭しと働いてくれています。
![富谷町町営住宅3](files/cht-e199-0305-03.jpg)
![富谷町町営住宅4](files/cht-e199-0305-04.jpg)
富谷町はこの時期、雪がよく降ります。
昨年の外構工事の時も、雪かきしながら工事を進めました。
今年は、そうならないようにと祈っていましたが、
やっぱり雪でした。(涙)
![富谷町町営住宅5](files/cht-e199-0305-05.jpg)
![富谷町町営住宅6](files/cht-e199-0305-06.jpg)
でも、完成を心待ちにしている人たちのためにも
雪かきしながら、完成させます。
「2014年03月4日」
大津波で大災害を受けた宮城県亘理郡山元町磯浜漁港に水産物荷捌所を建設中です!
大津波で大災害を受けた宮城県亘理郡山元町磯浜漁港に水産物荷捌所を建設中です!
宮城県亘理郡山元町立中浜小学校
そこは、3.11東日本大震災で甚大な被害が発生し
廃校になった学校です。
被災者を供養する五輪塔が当時の様子を
私たちに伝えてくれています。
中浜小学校は東日本大震災を後世に伝えるために
震災当時のままで保存されることが決まったようです。
![宮城県亘理郡山元町立中浜小学校](files/cht-e199-0304-01.jpg)
また、その近くにはJR常磐線が通っていましたが
3.11の大津波で電車や線路が流されました。
この何もない田んぼの中の通路みたいなところは、
以前は、線路が通っていました。
![被災地の線路跡](files/cht-e199-0304-02.jpg)
この写真! なんだかわかりますか?
![被災地の線路跡2](files/cht-e199-0304-03.jpg)
![被災地の線路跡3](files/cht-e199-0304-04.jpg)
線路が通っていた橋です。
電車が走っていた鉄道や住宅街だった被災地は、
こんなに変わり果てた姿になってしまいました。
中浜小学校から車で数分の場所に磯浜漁港があります。
この地に水産業の人たちが利用する共同利用施設と
作業保管倉庫を新築しています。
![水産業の共同利用施設](files/cht-e199-0304-05.jpg)
![水産業の共同利用施設2](files/cht-e199-0304-06.jpg)
![水産業の共同利用施設3](files/cht-e199-0304-07.jpg)
この施設は、山元町が震災復興している街のシンボルとして扱いたいと
町役場の担当者は話してくれました。
そして、町民や漁業関係者が施設の完成を待ちわびているそうです。
この日は、天気も良く波の音だけが聞こえ
とても十数メートルの津波に襲われた地とは
思えないおだやかな漁港でした。
生コンクリートと鉄筋、鉄骨が被災地では不足しています。
この現場の近くでも、防波堤用のテトラポットを大量に作っていて、
生コンクリート工場の生コンはほとんどがテトラポット用でなくなります。
また、もともと仕事量が少ない東北地方ですから
鉄筋加工できる職人さんが少ないのです。
そこに、今回の大震災での復興工事が大量に発生し
職人さん不足と建設資材不足になっています。
工事現場は安全第一です。
建設災害の発生を無くすために、作業員さんもまじえて、
安全のミーティングを行ないました。
大震災で亡くなられた皆様のご冥福を祈りながら
被災者の方々が元気に前に進めるように
私たちも震災復興工事を応援させていただきます。